Anjali+ blog

ヨガと雑記

書くということ

辻仁成さんのインスタをみていた。
自分に向けて書いていた言葉なのだそうで、勇気づけたり、励ましたり、安心させたり。
読んでいてすっと心に入ってくる。
で、ふと思った。
人は社会的なので、いろんな場面でいろんな自分になって、うまく使い分けている。
役割だとか、社交辞令とか、好き嫌いの感情とか、友達欲しさとか。

バーチャルや、リアル、もあるかな、いまどきは。
それで、ときに四苦八苦する自分を俯瞰する冷静な賢い自分もいる。
でも、自分に言葉かけることはしてこなかったなぁ、と。

 

言葉をもたない自分がある。
頭も心も、静まっている時間がある。
そんなときに耳に入る鳥の声は、透明になった身体を通り抜けていく。
心地よく、言葉がいらない。平和そのもの。
誰の中にもある。
ずっとそうしていたい。でも現代人、そうはさせてもらえない。

ややこしい社会を生きなくてはいけない。
言葉が頭をぐるぐるとまわる。けっこうしんどい。

 

10代をふりかえる。
詩を書いたりしていた。
表現には、アウトプットする苦労があった。
いつも考え続けていた。そういえばその頃
いつもどんなときも言葉があった。
悩んでいたんだな。

 

言葉で自分を確認していた。
誰といてもしっくりこない、ズレている。疎外感…
そういう、社会のどこにもいない自分を
書くことをとおして、確認し見つけていたのだった。
そうやって見つけていった自分を、
ずいぶん長いこと置いてけぼりにした。
自分より他人を信じ、自分の感性よりテレビ番組の感性を選び、
自分の考えより世間を気にして、
外の世界に適応(同化?)しようとがんばった。
というより、誰か、なにか確かなもの、よりどころを
誰かになにかに求めていた。あとにはむなしさが残る努力。

 

自分のためにどんな言葉が出てくるだろう。
自分の中の静けさから、どんな表現がでてくるのか。
表現がきっと自分の支えになる。

そうやってみると辻仁成さん、タフだなあとおもう。
ギターを手に歌い、おいしそうな料理までつくって友人にふるまったりしてる。
NHKの番組でおみかけした姿。
自分で自分のこと、なんとかして生きるしかないんだな…